ビックタケの小さな小さな世界

主な内容は僕の起業に関することです。ビッグタケの独断と偏見にまみれた思想に陶酔してください。

僕と起業とヨウさん ~起業を決めた話 part1 ~

起業を考えたのは高校2年の終わり頃だった。

それまでの将来の目標は、今思い出そうとしてもパッとは出てこない。

地元で開業医でもしたいなあ、とかだったと思う。

 

まじめに勉強して

まじめに部活して

まじめに友達と遊んで

まじめに悪さをして叱られて

 

確かな将来の目標がなかった僕は

いい意味でも悪い意味でも

まじめに目の前のことに生きていた。

 

そんなこんなで高校2年の冬になった時

あるイベントがあった。

高校の教育事業の一つで

海外の同世代の生徒と環境問題について

プレゼンやパネルディスカッションを行うシンポジウム。

 

海外からこちらに招いて行うため

クラスで数人ホストファミリーが必要だった。

中国、韓国、ロシアから生徒が来るそうだ。

僕は興味本位でホストファミリーに立候補した。

 

やはりまじめ。

 

二泊三日1歳上の中国人の男子生徒を受け持つことになった。

 

それはまさに青天の霹靂だった。

 

彼はヨウ セイカ(Yang Shenghua)さんという名前だった。

身長が高く、ガタイがよく、眼鏡をかけていて真面目そうな印象をうけた。

制服の僕に対してスーツを来ていたこともあったからか

とても1歳だけ年上には見えなかった。

 

歓迎レセプションで初めて会話した。

軽い自己紹介をした。

すぐに気づいた。

 

「この人英語力やばすぎ。」

 

途切れなく話す流暢な英語。

英語は得意な方だったがとても対等に喋れなかった。

帰りの車で会話を聞いていた母にも後から

大丈夫?やっていける?

と心配されるほどだった。

 

翌朝の通学時は電車で

朝から膨大な量の英語に圧倒された。

好奇心旺盛らしく色々なものに興味をもっては次々に話す。

負けじと返そうとしたが処理スピードが追いつかなく

大した返しもできない自分が悔しかった。

 

会話のイニシアチブを取れたことと言えば

彼が黒澤明の映画が好きだと言った時ぐらいだった。

黒澤映画見といてよかったー!とこれ以上思うことは二度とないだろう。

 

三日間でPardon?を何回言ったか分からない。

情けなかった。

これは英語力だけに限ったことではなかった。

 

3日間色々な会話をしたけど

その中で政治的なトピックを振られることもあった。

「僕の国の一人っ子政策をどう思う?」

尖閣諸島問題についてどう思う?」

など。

 

僕はどれも曖昧でぼんやりしたことしか言えなかった。

ニュースとか社会の授業で聞いていて知っていたものの

日頃から意識して考えたことなんかなかったからだ。

自分の意見なんか持ったこともなかったからだ。

 

彼の国際的な意識の高さは同世代として純粋に尊敬できた。

特に意見を持っていなかった自分が恥ずかしく思えた。

 

 シンポジウム当日の日。

ヨウさんの発表の時に

ちょうど近くにいたどっかの国の引率の先生が話しているのが聞こえた。

たしか韓国の引率の人だったと思う。

「あの子SATで全教科ほとんど満点だったらしいですよ。」

 

「いや、やっぱすごい人だったんか。そもそもSATって何か知らんけど」

 

 

偶然聞こえた会話だけにすごさ倍増。

ちなみにSATはアメリカの大学を受ける時に必要な書類らしい。

まじで習近平みたいにならないかな。

すごい人なりそうだしサインもらっとけばよかった。

 

あの人に勝ちたい、負けたくないとかそういう感情ゼロ。

同世代で、雲の上の人や〜

みたいに思ったのは初めてだった。

 

別れ際に僕と僕の母に丁寧に丁寧にお礼を言って帰って行った。

礼儀もいいんじゃまじで非の打ち所がないわ。

 

こうして嵐のような3日間が終わった。

 

終わってみて、僕はヨウさんを尊敬すると共に恐れすら抱いた。

畏敬の念ってやつ?

覚えた時、こんな言葉いつ使うんだよ。

って思ったけど、ぴったりすぎる言葉。

 

嵐は去ったが僕の心は晴れず

大きな危機感や先走る焦燥感が生まれ

何か日本の社会に大きな変化が必要だと考えるようになった。

 

起業を考える本当に一歩目の出来事。