ビックタケの小さな小さな世界

主な内容は僕の起業に関することです。ビッグタケの独断と偏見にまみれた思想に陶酔してください。

手段のひとつとしての起業 ~起業を決めた話 part3 ~

起業を決めるまでの経緯

ここに完結。

 

一応おさらい。

 

過去のブログには書いたんだけど

ぎゅっと要約すると、、、

スーパーハイスペック中国人ヨウさんと出会う

中国の勢いすごいなあ

それって中国の教育がすごいから?

日本はこの先どうなっちゃうんだろう?

本の学校教育はこのままではいかん!

おれが変えたい!

でした。

 

個人塾もいいけど、それじゃあ大きな変化はもたらせなそうだ。

 

で、学校教育を変えるとなると

やっぱ、政治家とか官僚なのかなあって思った。

だけど、そもそも中央政権にいいイメージが微塵もなかった。

政治家とか官僚の汚職はニュースで尽きない。

 

なんか嫌だな〜

本能的にそう思った。

あと、一人の官僚、政治家に学校教育は変えられるのか。

だとしても、

総理大臣になるために、政党に地盤を築いたり

文科大臣になるために、ポストを取れるまでに

一体何年かかるのか。

 

政治家という道は避けては通れないと思った。

だけど、政治家としてスタートしたら時間がかかりすぎる。

そう思った。

 

日本の民主主義は間接的すぎる。

実際に政治を動かすポストの人間は政治家が決めているじゃないかと

道を模索するうちにはっと気付かされた。

 

アメリカみたいに直接選挙で決められたらいいのに。

その時、先日行ってきた人生2回目の投票を思い出した。

 

知事選の投票だった。

 

当時、僕の出身新潟では県知事が出会い系を使って売春をしたとして辞任したため

次の知事を決める知事選が行われていた。

 

知事選って県民の直接選挙じゃん!

 

まさに光が見えた気がした。

出会い系知事ありがとう。こんな時にやめてくれて。

高2の冬から始まり、この時高校を卒業した年の4、5月ぐらいだった。

 

僕は地元新潟の県知事になろうと決めた。

県知事なら新潟の中では最大の権力があるし

新潟の教育ならある程度変えられるかもしれない。

 

逆に、地元に恩返しができるよう主に教育の改変を頑張って

それが他県に伝播して

新潟から全国へという流れを作り出せばいいと思った。

 

話は戻るが、当時の知事選は3人立候補がいた。

でも実際は、

自民党公明党擁立候補と民進党など擁立候補の一騎打ちだった。

 

新潟の知事を決める選挙なのに

与党と野党の戦いの場でしかなかったのだ。

 

なんじゃこれは。

 

支持を受けて選ばれたとして、その後はどうなるんだろう。

結局、与党か野党の影響は避けられないのでは?

悪く言えば、傀儡としてしか県政を動かせないのでは?

 

だから僕は絶対にどの政党からも支援を受けずに選挙に勝つと決めた。

 

そのためには莫大な資金が必要だ。

地元新潟での知名度も。

実績も。地盤も。信用も。

 

与野党対決に割って入れるだけのあらゆる力が必要だ。

 

じゃあ、どうすれば?

 

お金も知名度も、地元の信用、地盤も一気に手に入れられる手段って何だ??

 

新潟で起業して自分の会社持つしかない。

そう思った。

成功すれば、

お金も知名度も、そして新潟での人との繋がり

すなわち地盤を築ける。

 

起業に年もクソも関係ねえ、才能があったかどうかだけだ。

と吹っ切れられたのもよかった。

 

県知事選は30歳から被選挙権がある。

早くて30歳にはチャンスがやってくる。

その時、18歳だったけど19歳の誕生日は近かった。

10年以内に起業で成功しないとだめだと思った。

その間に政治の勉強もして、選挙戦の準備もしないといけない。

 

だけど、前提条件として起業で成功する必要がある。

 

日本の教育を変えるという目標を達成するための

手段としての起業が決められた。